私は今でこそこうやってジムやヨガを経営していますが、ご存知のとおりちょっと前までは警察官でした。
なんて言っても生活は、普通のサラリーマンと一緒です。

長らく適当にやっていたのですが(大変申し訳ない!)、ある話をきっかけに、ちょっとだけ人並みに真面目に仕事するようになりました。

あぁ、会社組織での仕事ってこういうことなんだ、と。
それまでは完全に受け身というか、言われたことだけをしぶしぶとこなす仕事をしていました。

しかし、この話を知ってからは、
あー面倒くさい、、、という変なストレスがなくなり、前向きに仕事できるようになりましたね(ちょっとだけ)。

で、最近またこの話を目にすることがあったので、せっかくなので紹介します。

この話は、1899年に著書のハバートという人が「1時間で書き上げた」と自分で言っているくらい短いものですが、
アメリカ軍の兵士や日露戦争の時のロシア兵が皆持っていた、と言うくらい超有名なものです。

ちなみに日本では明治天皇も読み、帝国軍人と政府役人にこの冊子を配布するよう命じたそうです。

就職活動している人や新入社員が近くにいれば、ぜひ紹介して欲しいですね。

今は売り手市場なので、何もしなくても売れるかもしれませんが、こういう人材だったら会社がお金出しても欲しがるよ、ということです。
でも、面接の時に、「私はローワンのような仕事をします!」なんて言っても、面接官が知らないだろうから、心にそっととどめておくのがよろしいでしょう。

ちょっと長い話ですけど、一生に一度くらい読んでおいても損はない話です。
多分、1〜3分くらいで読めるはず。

(以下、引用です。)

スペイン領キューバの独立を機に,米国がキューバを援助して開戦した,いわゆる米西戦争(1895~98)の真っ只中でのことである。
反乱のため蜂起したキューバ人グループから協力を取り付けるため,マッキンリー大統領は,反乱軍のリーダーであるガルシアに一通の書簡を送り届ける必要があった。しかも事態は一刻の猶予もならぬ程,緊急を要していた。 誰を使者として送ればよいか。この人選は戦略上,きわめて重要な決断事項となった。

「ローワンという男に任せましょう」

大統領の側近が一人の男を推薦した。
側近によれば,彼をおいて他には考えられない,とのことであった。
これまで,この男に任せて失敗したためしがない。それほど信頼の厚い男だということだった。

しかし,今回の任務は特別であった。何しろガルシアの潜伏先がかいもくわからないのである。

マッキンリー大統領は,側近の助言を聞き入れて,ローワンを召喚した。
ローワンは,大統領からガルシア宛の書簡を受け取ると,黙ってその書簡を防水布でできた袋にしまい,ベルトで胸にしばりつけた。
そして,小舟に乗って沖へ向かって漕ぎ出し,キューバに向かった。彼は,島に上陸すると一人ジャングルの中に消えた。

未知のジャングルの中を,どのように通り抜けたのかはわからない。
だが,大統領の命を受けてから3週間後,彼は目指すガルシアに,大統領からの書簡を手渡した。
見事,密使の大役を果たしたのである。

さて,重要なのは,ローワンがガルシアに大統領の書簡を手渡すことに成功した,という事実ではない。
マッキンリー大統領が,ローワンに書簡を託した時,ローワンは何ひとつ質問をしなかった。
このことの方が重要なのである。

たとえば,ローワンが「ガルシアはどこにいるのですか?」と質問してもおかしくはなかったろう。
だが,どこにいるのかがわかっているくらいなら苦労はない。

「なぜ,ガルシアに渡さなければならないのですか?」と質問しても,それを笑うものはいなかったであろう。

だが,そんなことはどうでもよい。大統領から直々に依頼を受けたミッションである。
密使にとって重要なのは,「書簡をガルシア本人に直接手渡すこと」であり,それも,「できるだけ最短時間で手渡すこと」である。
それ以外の何ものでもない。

そのことを理解しているからこそ,ローワンは,「なぜガルシアに渡す必要があるのか」とは質問しなかったのだ。
まして,海を隔てたキューバまで,どうやって行って,居所の不明なガルシアをどうやって探したらよいか,などという目的達成までの方法や手段について,ローワンはいっさい何も質問しなかった。

それは大統領に聞く問題ではない。
密使として任にあたった自分が解決すべき問題だということを,ローワンはわきまえていたのである。
背筋を真っすぐに伸ばし,自信を持ち,敏捷に反応し,自身の持てる力を結集し,『ガルシアへの伝言』を手渡すことだけに,すべてをかける。

これこそ男の中の男だ,若者は,書物を読み,知識を貯め込むだけで机上の空論を振り回すような真似をすべきではない。
評論するのは簡単でも,実践するのはむずかしい。
自分が率先して行動し,成果をつかみ取る姿勢がいかに大切なことであるかを心得ておくべきだ。

ガルシア将軍は死んだ。
しかし,日常生活において,ガルシアはいくらでもいる。

企業経営を実践する上で,凡庸な人間のへま,軽率,愚かさ,不器用さ,不手際,やる気の欠如,失敗などが,どれほどの無駄や損失をもたらすかはひと言では言い尽くせない。

たとえば部下の誰かに,
「コレージュの一生について,短いメモを書いてくれないか?」
と聞いてみてほしい。

彼は,「はい,わかりました」とただちにその命に従うであろうか?
いや,それは疑わしい。
彼は輝きのない視線を向けて,きっとこんな質問をしてくるにちがいない。

「コレージュって誰ですか?」
「どの百科事典をみたらいいですか?」
「百科事典はどこに置いてあるのですか?」
「そんなことを調べさせるために,私を雇われたのですか?」
「お調べになりたいのは,ビスマルクではないのですか?」
「調べは緊急を要しますか?」
「(私ではなく)チャーリーに調べさせた方がいいのではありませんか?」
「コレージュは,既に死んだ人ですか?」
「何でもよく出ている本をお持ちしますから,ご自分でお探しになったらいかがですか?」
「どうしてそんなことをお知りになりたいのですか?」

私は十対一の掛け率で賭けをしてもいい。
仮に,このような質問に,あなたがいらだちを何とかおさえて答えたとしよう。

すると,おそらく,あなたのその部下は,いろんな理由をつけて他の人の力を借りたあげく,結局のところ,「見つかりませんでした」「コレージュという人は,存在しないのです」と,ヌケヌケと報告することでしょう。

まあ,この賭けに私が負けないとは言い切れないにしても,おそらく統計的には,私の方が勝つにちがいない。

ただ,あなたが賢明な人なら,その部下に,「何をぼやけたことを言っているんだ。コレージュの頭文字はKじゃなくてCなんだぞ」などと言って,彼の過ちを指摘する無駄は省き,「何?見つからなかったって?それは残念」とでも言って,自分で辞書を調べることでしょう。

『ガルシアへの書簡』という命を受けたら,その書簡を最初のどぶに捨てようなどという邪心をいだかず,くだらぬ質問など一切せず,黙って使命を果たす人間,そういう人間こそが有能なのである。

文明とはつまるところ,このように自分の意志で,自分の能力を信じて任務を遂行する人間を探索し続けることにほかならない。

村や町,オフィス,ブティック,アトリエ,そして工場,とありとあらゆるところで,世界が必要としている人間,それは『ガルシアへの書簡』を託すことのできる人間なのである。(エルダー・ハバード)

という話です。

なるほど、軍隊に配布される理由が分かりますよね、
前線で戦っていたら、その場の状況判断を自分でしなければなりません。
いちいち、上官に聞いていたら死んでしまいます。
自分でやることを考えて動くことが生死の分かれ目になりますからね。

私はコレジョのとこなんかは、「やばい、俺もそうだ、、、」とちょっと恥ずかしい感じがしましたね。

「分からないことはすぐ聞いてください」なんていう人もいますが、本当にすぐに聞いたら怒れらると思います。。
10年前は知らず、今はだいたいグーグル先生が解決してくれますからね。
ちょっと時間はかかりますが、今は検索能力が高い人が仕事ができると思われる時代ですから。
調べていくうちに、その能力もついてきます。

分からないことは聞いて、というのは分かることは聞くな、ということでもあります。
本当に分からないなら聞いた方がいい。気になることは聞いた方がいいです。
でも、それを聞かなくてもやることができるのであれば、パッパとやっちゃった方がいいんです。

結果的に意図を勘違いしていたり、間違っていたりするすることもあるでしょうが、それが致命的なミスでない限り多分普通の上司は許してくれる。

世の中、ローワンみたいな人は稀です。
だからこそこういう話が残るのですが、この話を聞いて、

なんじゃコレ、と違和感を感じる人、
こんなことできるわけないじゃん、と諦める人
いや、軍隊じゃないからね、、と他人事のように思う人

色々な人がいるでしょう。

私としては
10人に一人くらいは、いい話だ!と感じてくれることを祈ります。。。