こんにちは

夕焼けを見てどう思いますか?

キレイだな、、

とか

今日も終わりか、、

とか

もうすぐジムだな、、

色々とあると思います。

ちなみに僕は「不思議なだな、、」って思います。

先日、ある人とお話ししていて、

「クラソノさんは自然が好きですか?」

って聞かれたので、

>いや、別に。自然を好きを思ったことはないですね、、

って答えたら、ちょっと嫌な雰囲気になって、

「夕焼けとかキレイじゃないですか?」

って言ってきたので、

>まぁ、そうですね、、、という気の無い返事をしたら

エネルギーを感じませんか>はい、全く感じません。

ほんとにヨガやってるんですか>フィットネスとしてやっていますよ。

みたいな感じで正直に答えていたら、なんか一方的にキレられました。

私はサイエンティスト的な考えなので、全くそういうのとは無縁なので。。

エネルギーとかそういうのが好きな人とは全く話が噛み合いません。


でも、、

「自然が好き」って、なんでしょうね?

自然って好きか嫌いかって対象じゃないと思うんですよね。

そこにあるもんだから。

そもそも自然ってなんでしょうね?

コンクリートだって、もともとは砂と石だし。

家だってね、木ですよ。

そう言う意味で元々は自然です。

金属だってね、鉱物ですし、自然ですよ。

この地球上にあるもので、本当の意味で自然じゃないものなんてないですよね。

屁理屈ではなく、各自が個人的に勝手に「これは自然のものである」って定義しているだけです。

鉄でもペットボトルでも原材料までいけば”元”自然ですよ。

それを自然ではないような状況で加工しているだけですからね。

自然というものがよく分かりません・・

地球という一応完結した系の中でやってきたわけで、その中で色々なものに形が変わっているだけです。


そうそう、

アントニオ猪木さんの追悼文を考えていたら、円楽師匠も亡くなっていたようです。

子どものころは笑点見てましたし、、落語は結構好きな部類なので、ちょっと残念でした。

人生は儚い。そして不思議

しかし、人生は儚いですね。

そして不思議です。

生きているっていうのは本当に奇跡のようなものです。

アントニオ猪木さんも円楽師匠も焼かれて、灰になって、草木の栄養となり、それを虫が食べ、動物が食べ、それを人間が食べているだけこと。

全て地球という系の中で循環しています。

もちろん僕だってそう。

1000年後は分子レベルで誰かの身体に一部になっているかもしれません。

今日、僕やあなたが食べたものだって、分子レベルでいえば1000年前になくなった誰かの身体だったのかもしれません。

そうやって、地球という閉じた系の中で全てが循環しています。

コンクリートにしろペットボトルにしろ石油にしろ、すべては地球にあったものです。

閉じた系っていっても太陽からのエネルギーを得ているし、熱は出ていっていますね。

で、そうやって太陽のエネルギーを得て、草木が育つわけです。

そして、それを僕らが食べて身体に一部にしている、身体を構成する分子の一部にしているわけです。

そうやって、何億年も綿々とつながって今、僕もあなたも存在しています。

私が存在する奇跡

なんか不思議というか、そういうのに奇跡を感じませんか?

自然を見てキレイだな、、

なんて思うことはないですが、本当に面白いです。

僕もあなたも今、こうやってこの時代に存在していますが、かなりの奇跡です。

3000年前の日本で人口がまだ100万人とかそのくらいだったかもしれませんね。その頃まで遡れば、ほぼ確実に僕とあなたは親戚筋ではないでしょうか?

その時代に誰かが病気になって亡くなっていたら、僕もあなたも存在してない可能性は大きいです。

私の存在価値

基本的に今、自分というものが存在していること自体は意味はない、と思っています。

大きな宇宙から見れば、僕が生まれて、死んだところで何の変化もありません。

宇宙がなくなったり、小さくなったりすることもない。他の星に影響を及ぼすこともないでしょう。

実質的には僕が存在する価値なんてないのです。

化学反応です。

こうやって意思を持っているような気がしていますが、それも脳がつくりあげている化学反応に過ぎません。

あ、ちなみに筋トレやダイエットもすべて化学反応です。科学です。

まだまだ仕組みはまだ分かってませんけどね。

それでも幸せになりたい

とはいえ、それでもこうやって生きているわけですし、生きている以上、幸せになりたいと思っています。

きっとそれはあなたも同じだと思います。

人に迷惑かけたくないし、喜ばれたい。健康でいたい。

社会や地域に貢献したいし、何か人のためになることをしたい、と思うような現代社会に生きている以上、できるだけことはしたいと思っています。

そして、子どもにも成長して、幸せになって欲しいと願っているわけです。

そこに、理屈はありません。本能でしょうね。

価値はなくても、楽しく生きたい

「人には存在価値がない」というのは真理だと思いますが、だからと言って今の人生を無駄にしていいとは思いません。

せっかくこうやって今、生きていると認識しているわけですから、幸せに過ごした方がいいに決まっています。

この世にいるのが奇跡ですからね、そのチャンスを無駄にはしたくありません。

健康にこの世でできるだけのことをしたいと思っています。

だからこそ、筋トレが必要なわけです。

いや、健康というだけであれば、筋トレじゃなくてもいいですよ。

走りたければ走ればいいし、山登りでもいい。

それを趣味としてできる人はそれでいいと思います。

筋トレのいいところは健康づくりと身体づくりとか自信を育てることができることですね。

そして、十年後や二十年後に筋力で困るリスクが大幅に減るってこと。

怪我や病気のリスクも減らすことができる。

どうせいつか死ぬから、無駄な努力はしない、とか

明日死ぬかもしれないから、毎日好きなことをする、とかいうのは、単なる怠惰な言い訳です。


アントニオ猪木さんも円楽師匠もこの世からいなくなりましたが、もともとこの世に生まれたこと自体も奇跡のようなものです。

1000年後、2000年後も僕の身体を構成したいる分子はどこかに存在しています。

小さな微生物かもしれないし、小さな葉っぱかもしれない。

そして、この身体を構成している分子だって、その材料は昨日の食事であり、その野菜や肉を構成する分子は、元々は土や空気中の栄養であり、太陽のエネルギーなのです。

そう思うとなんか面白いですよね。

こうやって今、この世に生きていることを感謝するしかありません。

ということで、どうせいつか灰になってそのうち誰かの身体の一部になるのかもしれないけど、今のこの人生を楽しく生きるしかないな、と思いました、というお話です。

この人生は一度きりです。楽しいことをやりたいならまずは健康です。

ストレスにならない程度に健康には気を使いましょう!

筋トレ・食事・休養

これがあなたの人生を充実させるための土台です!